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阿保親王塚(芦屋市)

1c0a508f.jpg 昨日は、遠征をするつもりで準備していたが子供の調子が悪くこの近辺をサイクリングすることになった。



 この古墳は以前より気になっていたもので、阿保親王の陵墓とされている。以前は以下の内容の看板が立っていたが、昨日は見つけられなかった。



 【阿保親王塚の説明版】



 平城天皇の皇子、阿保親王(西暦792~842)がまつられており、親王は深く打出浜の眺望を愛で、ここに別邸を営んで風月を友とせられたという。

 周囲350mの陵域は旧打出村の自然美を伝え、塚は古代の円墳で径36m、高さ3mあり周濠をもつ。伊勢物語「芦屋の段」でゆかりのある在原業平は親王の御子である。拝所の正面にある四対の石燈籠(一対は阪神大震災により消滅)は長州藩主毛利侯の寄進といわれる。

 親王塚は、現在宮内庁で管理されており、毎年12月の命日には、正辰祭が行われている。

             芦屋市・芦屋市観光協会



 なぜ気になっていたかと言うと、上記下線部。



 毛利と阿保親王に何の関係があるのか?



 毛利氏の遠祖は平城天皇の皇子、阿保親王のご落胤といわれる大江音人(おとんど)だったらしく一品いっぽん親王(一品とは諸親王の第一階位の親王をいうらしい)

であったので、その後胤にあたる毛利氏は一品の字を図案化した一文字三つ星紋を用いたと伝えられる。 元禄4年(1691年)阿保親王850回忌を機に親王の嫡孫とされる毛利家が墓域を改修し、現存する燈籠を寄進するなど整備に努めた。その際に埴輪円筒と鑑鏡(三角縁神獣鏡)の完形品などが出土し、現在でも親王の菩提寺「親王寺」に所蔵されており、江戸時代の参勤交代の際歴代毛利侯は必ず立ち寄っていたらしい。



 ただ、出土品からこの古墳の建造年代が阿保親王の没年に対し、400年ほどさかのぼるものと判っているため、考古学上は阿保親王の陵墓ではないと断定されている。



 でも、毛利家がこの地を特別な地として位置づけていた事は事実であり、それだけでもワクワクする。 

 

 

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